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雑貨人生20数年の想い出、感じたこと、創作を愛する人へのエール といった感じのエッセイです。
雑貨屋KUMAのエッセイ 「雑貨想い出帖」 バックナンバー

   Vol,14〜Vol,59

(14以前は保存してありません)


第16回
「15〜16年前の雑貨業界」
(2002年7月1日UP)

今回の内容は以前ここに書いたことを、思い出してもう一度書き直してみました。 今から約15〜6年前、雑貨ブームと呼ばれた頃の雑貨メーカーや問屋、ショップのことについて、です。

あの頃の雑貨業界にはこれから伸びる業界独特の活気がありましたね。 みんな若く、雑貨が好きだから金なんか要らない(当時は雑貨屋は貧乏というのがあたり前だったのです)、朝早くから夜遅くまでダラダラと働き、寄ると触ると雑貨の話で、「あれはダメだ」だの「次はこういうのがくるよ」だの「これいいでしょ!」だの、とにかく盛り上がっていました。

街には「オリーブ少女」なる女の子が、襟と袖の大きな白いシャツに黒を重ねたファッションで、エナメルのバックを持って闊歩してましたよ。 雑貨屋さんにはいつもお客さんがあふれていて、何かいいものはないか、誰も持ってないものはないか、新商品は入ってないかと、まるでハイエナのように貪欲に雑貨をあさっていました、と書くと大げさのようですがまったくそのとおりだったんです。ホントに。
店員よりも店の商品にくわしい子がいたりしましたから。 ディスプレーの配置まで覚えていたりしてね。

電車や地下鉄を乗り継いで、1日雑貨屋めぐりをするのが多くの女の子の休日でした。
当時まだ渋谷のファイヤー通りにあった「文化屋雑貨店」などは、お客さんが多くてゆっくり見ていられなかったですよ。 男の私がウロウロしていようもんなら「なによこの男!邪魔!」って顔でにらまれましたもんね。 今想い出してもすごい熱気でした。

その頃は食器などの生活雑貨というのは少なかったですね。 今のように生活雑貨専門のショップというのはほとんどありませんでした。 ガラス物は輸送中の破損によるロスが多かったんです。 荷物を開けたときに、オーダーしたガラス商品が割れていても、なかなか返品に応じてくれなかったですね。 つまり運送屋のせいだ、というわけです。
そんなこともあってショップでもメーカーでも、ガラス物を扱うのをさけていました。
また同じようにTシャツやバンダナなどの布物も、汚れてロスになるという理由で敬遠されていました。

ですからアイテムはそれほど多くはなかったですよ。 置き時計、掛け時計、鏡、ライター、シガレットケース、サイフ、そんなものが多かったですね。 今の人から見たら貧弱でしょうね。
だからかもしれませんが、新商品を探すのに必死になったのでしょうね。 人と違うものを手に入れることが大変だったのですよ。
売る側も買う側も「欲しい」という気持ちが、今とはくらべものにならないくらい強かったのは確かです。 いつでもどこででもなんでも手に入る、飽和状態の今とは活気が違いましたよ。

そんな華やかな表舞台と裏腹に雑貨メーカー、問屋の汚さ、いいかげんさはちょっと今の人には考えられないかもしれません。 とにかく汚かった・・・。 あっ、みんながみんなではないけれどね。 スマートでおしゃれな人もたくさんいましたよ。 アパレル業界から転職してくる人も多かったですしね。

当時(今もそうかもしれませんが)メーカーなどは、たいてい渋谷や代官山などの、ごく普通のマンションの一室を借りて、会社や事務所にしていました。 いわゆるオフィスビルにはとてもじゃないけれど、事務所を借りられなかったんです。お金がなくて。
畳の上に事務用じゅうたんを敷き、事務机を5、6個置いて 、もちろん土足で出入りしていました。
部屋数はたいてい2部屋、多くて3部屋でした。 仕切りのふすまは取っ払っちゃって(そのふすまをどうしたのか知らないけれど)奥までひとつの部屋にして、押入れの中にはいつのものとも知れないような在庫が突っ込んであり (いいかげんだから棚卸なんかしない)、部屋を区切るようにエレクター(棚)を並べて商品を積んでいました。
だから狭い! 汚くって狭い。 マンションの大家さんが見たら腰を抜かすだろうな、そんな有様でした。
夕方になると隣近所から晩ご飯の匂いが漂ってきたんですから笑っちゃいますよね。

私は雑貨屋でバイトしている頃から持ち前の図々しさを活かして、そういったメーカーさんの「事務所」だか「会社」だかわからない、マンションの一室に遊びに行っていました。
そうしちゃぁ押入れの中を引っ掻き回して、デッドストックの中からおもしろい商品を探すのが好きでしたね。 いいかげんだから出てくる出てくる、「なにこれ、こんなのやってたの?」なんてものが出てきたり、なかにはもう3〜4年働いてる社員が首をひねるようなものまで出てきたりして。 おもしろかったですよぉ〜。
そんなデッドストックの中にもいいものがあるんですよ。 そんなのを卸してもらってショップで売ったりしてました。

14回でお話した「在庫処理」は、こういった「押入れの肥やし」のことです。 私はデッドストックの中でもいいものだけを売ってましたから、「在庫処理」とは違うんですよ。
「雑貨の流行には周期があって順番にぐるぐる回ってるんだよ」と、言っていたのはシン&カンパニーの社長、シンさんですが、つまりまた売れる時期がめぐってきた商品を売るのと、いつまでたっても売れない商品をだまして売るのとは違うのですね。

あの頃は次から次へと流行が変わっていきましてた。 ですから前にも書きましたが、商品の寿命も短かったですね(使えなくなるという意味ではなく、売れなくなるという意味で)。
1ヶ月もたったらもう古い商品になってしまうんですから、ショップもメーカーも問屋も大変でした。 絶えず流行りの動向に目を見張り、耳を傾けて、「これだ!」となったら一気にパーッと作るなり仕入れるなりして、サーッと売り切ってしまわなければいけないんですから。
時間をかけてじっくりと、なんて悠長なことは言ってられませんでした。 時期を逃さずに売り切ってしまわないと「押入れの肥やし」になってしまうんですからね。
それでも工場生産が間に合わず、時期をはずして山のように在庫を抱えてしまって 「またそのうちに流行るだろう・・・」と、ため息をついてる、なんて光景もよく見ました。 まぁその点ショップはメーカーや問屋にくらべるとまだ気が楽でしたけどね。

一般社会では生きていけないような、ホラ吹きとなまけ者と自我意識の強いわがまま者の寄り集まりみたいな業界でしたが、好きなことだけに活き活きとしてました。 あの頃はみんな金はなかったけれど楽しかったですね。 懐かしい私の青春です。