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雑貨人生20数年の想い出、感じたこと、創作を愛する人へのエール といった感じのエッセイです。
雑貨屋KUMAのエッセイ 「雑貨想い出帖」 バックナンバー

   Vol,14〜Vol,59

(14以前は保存してありません)


第21回
「私をこの業界に引き込んだ、あの素晴らしき雑貨たち」
(2002年9月17日UP)

今回は雑貨にまったく興味のなかった私を、この世界に引きずり込んでしまった(笑)、16、7年前の素晴らしい雑貨と、それを生み出した人たちについて書いてみましょう。

これまでにも何度か書きましたが、私は雑貨が初めから好きでこの仕事についたわけではなく、専門学校を中退し、仕送りが途絶えたためにたまたまバイトしたのがとある雑貨屋さんで、そこで雑貨のおもしろさに急激に惹きつけられ、気が付いた時にはすっかり雑貨にのめりこんでいました。

その頃、今で言ういわゆる「雑貨」というものは種類も数も少なく、まだまだファンシー雑貨が主流でした。 つまりかわいい系やキャラクター系ですね。 あとはおもしろ雑貨なんかでしたよ。
生活雑貨やインテリア雑貨などというものはほとんどなく、おしゃれとは程遠く、お客さんの年齢層も低かったですね。

雑貨業界の成り立ちに関しましては、以前ここで書きましたからバックナンバーを見ていただくとして、本題に入りましょう。
私がその雑貨屋さんにはいった時、ちょうど3つの新しいメーカー(ひとつは問屋でしたが)と取引を始めたばかりで、この3社が私の人生を決定してしまったのです。
メーカーの1社は「シン&カンパニー」、もう1社は「スーパープランニング」、問屋が持ってきた商品を作っていたのが「ギャトラック」でした。

その中でもシン&カンパニーが一番好きでしたね。
シン&カンパニーは今もさらにパワーアップして、相変わらずぶっ飛んだものを作っています。

ご覧いただくとわかりますが、今私が作るものとはまったくジャンルが違います。 でも若い頃はシン&カンパニーに夢中で、私がメーカーになったのも、シンさん(デザイナーであり社長)のように、人があっと驚く雑貨が作りたかったからでした。 私の仕事での屋号 「Amazing (驚きの、驚愕の)」は、そんな気持ちで付けたものです。
とにかく当時アメリカン雑貨全盛の業界で異端でしたね。 もっとも今でもそうですが。

その頃のシン&カンパニーの商品群は、サイフ、きんちゃく、バック、帽子などの縫製物がほとんどでした。 あとペンケースくらいかな。
そうそう私が尊敬する 「手塚治虫先生」のアトムを中心とした、手塚商品を作り始めた頃でした。 今でもアトムシリーズはシン&カンパニーの主力商品ですよね。 アトムグッズは一部でキャラクター物と思われていますが決してそうではなく、デザイン性に優れた素晴らしい商品です。 なぜなら社長のシンさんご自身手塚先生を尊敬されているからで、いつか私に 「手塚先生の作品をデザインする時には絶対に自分を出さない。手塚先生の作品の素晴らしさを世界中の人に知ってもらいたい」、そうおっしゃっていました。

商品全体のコンセプト自体はずっと変わっていませんから、今の商品を見ても私はなんら違和感を感じませんね。 相変わらずだなぁって嬉しくなってしまいます。 買いませんが(失礼!)
私が初期に作っていた「宇宙物」はシン&カンパニーの影響なんです。
シンさんはとても包容力と、人を惹きつける人間的魅力のある方で、当時の私は心酔しきっていました。 あの方にお会いしなかったら、私の人生はまったく違ったものになっていたでしょうね。
今思い返してみると商品のデザイン以上に、シンさんの「仕事」に影響を受けていたのがわかります。 ですから作る物の方向が変わった今でも、私にとって雲の上の存在ですし、目標でもあります。


ギャトラックは「ガラクタ貿易」から独立したのかな? そのへんのことはよく知りません。 急に現れて日本中をアンティークブームの渦に巻き込み、そして消えていきました。 今でも会社として活動しているのかどうか、私にはわかりませんし、知りたいとも思いません。

ギャトラックが作った商品はほとんどが復刻物でした。 もちろん細部のデザインはオリジナルでしょうが、基本デザインは昔のアメリカの時計やライトなどでした。
ですから商品としては非常に惹かれるものがありましたが、やはり心のどこかで 「オリジナルじゃない、マネだ」という気持ちがあり、時間がたつにつれてだんだんさめていきましたね。
それでも最初に見たときの衝撃は強かったですし、素材も仕上げもパッケージデザインも非のうちどころのない商品ばかりでした。 ですから形にした、というだけでも充分に評価されていいと思います。

それらの商品は当時の業界に非常に影響を与え、後追いでコピー商品が次から次へとものすごい数が売り出され、皮肉なことにそれらのコピー商品によって、アンティーク雑貨が日本に定着したのです。
今でもそのなごりは雑貨の中に残っています。 ギャトラックの登場はそれほど衝撃的で、圧倒的だったのですよ。
残念ながら私はギャトラックの商品を一つも持っていません。 いつかは、と思っているうちに次第にギャトラックへの関心も薄れていき、結局買わずじまいでしたが、今になると買っておけばよかった、そう思いますね。 しかし、コピーはしょせんコピーでしかありませんが。


もうひとつ私の好きだったメーカー 「スーパープランニング」は今でもあります。 かなり大きな会社になり、私の知っている頃のイメージとは違ってしまいましたが、がんばっていることはとても嬉しいですね。 商品を見ればご存知の方は多いはず。

このメーカーはとにかくロゴデザインに優れ、色が美しく、全体のデザインをまとめるのが非常にうまかったですね。 もちろんそれは今でもそれは変わっていません。 キャラクター物が先行しはじめてから遠のきましたが、おしゃれであることは間違いありません。
私はスーパープランニングのブランドの中で 「HEMING’S」が大好きでしたね。 横浜のショップで店長をやっていたとき、営業のMさんが突然このシリーズを持って来ました。 鳴り物入り、という感じでしたよ。
トラベルセット、モーニングセット、レターセットなど、どれも完成度が高く、素晴らしい商品ばかりでしたが、当時としては値段が高く (商品からすれば妥当でしたが)、販路もなかったため商業的には失敗だったかもしれません。 しかし素晴らしい商品でしたよ。 売るのには苦労しましたけどね(笑)

代官山にあった事務所 (東京スタジオと呼んでいたかな)にも時々遊びに行きました。 雑貨メーカーでは唯一と言っていいほど、きれいにしていたのを覚えています。 スタッフもおしゃれな人が多かったですよ。


私が好きだったメーカーはこの3社だけです。 これ以外のメーカーは付き合いはありましたが、メーカーとして認めていませんでした。
この3社との出会いは運命だったのでしょう。 幸せな出会いでした。 今でもこの3社は私に影響を与え続けています。 「負けたくない」という向上心を生む原動力として。