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雑貨人生20数年の想い出、感じたこと、創作を愛する人へのエール といった感じのエッセイです。
雑貨屋KUMAのエッセイ 「雑貨想い出帖」 バックナンバー

   Vol,14〜Vol,59

(14以前は保存してありません)


第23回
「つらい時、私はこうして乗り越えてきました」
(2002年10月16日UP)

みなさんは私のサイトや、作品を見てどう思われましたか? 嬉しいことに 「すごい!」 と言ってくださる方もいらっしゃいます。 ところが現実はいまだに苦戦、苦闘してる真っ最中なんですよ。
これまでの作家人生を振り返ると、つまずいたり転んだりした跡が歴然と残っている細い道が、かろうじてつながっているのが見え、目の前は霧に包まれたように模糊として何も見えないのです。 決して人様にうらやまれるような境涯ではありません。

このネットショップもようやく最近になって、「なんとかこれでやっていけるかなぁ・・・」と思うに至っただけで、まだまだこの先しばらく苦労は終わりそうにない、という状態ですよ。
それでもこれまでに比べれば、格段に経営状態がよくなったことは確かで、以前はもうお話にならないくらいひどい有様でした。 そのひどい有様を10数年続けたんですから、我ながらしぶといもんですよね(笑)

いくら楽天的な私だって、仕事に希望が持てず、生活費に追われる日々が続けば落ち込んだり、逃げだしたくなりますよ。 そんなことはしょっちゅうでした。
もちろん転職を真剣に考えたことも度々ありました。 しかし今この障壁を乗り越えれば先が開けるんじゃないか、そう思ってもう少しもう少しとやっているうちに、いつの間にかここまできてしまったんです。

悩み、苦しみ、もがき、あえぎ、落ち込み、おびえ、震えるほどつらい時をどうやって乗り切ってきたのか、どうやって気持ちを切り替えてやってきたのか、といってもそれほど特別なことではないんです。
人によっては苦労と思わず、楽々乗り越えていく人もいると思いますが、前回書きましたとおり、私は才能に恵まれていませんから、苦しむわけです。 そしてどん底まで落ち込んだ時、いつも私は自分に問いかけるんです。

「もうやめてもいいんだよ。 他にも生きる道はある。 苦しむだけが人生じゃないはずだから、やめてもいいんだよ。 ただ、今やめて後悔はしないか? すべてやり尽くしたといえるか? 本当にもうだめなのか? もうこれ以上できないのか?」

そうやって自分の本心を自分で引き出してみるんです。 そうするとやめられないんです。 こんな中途半端なところでやめたくはない、そう思うようになるんです。 私はそう思ってやってきたんです。
やめたくないという気持ちが自分の中ではっきりすると、今度はこう問いかけるんです。

「やめたくないのならどうする? そうやって頭を抱えておびえていて何かが変わるのか? なにかプラスになることがあるのか? そんなことをしていても、ただ時間が無駄に過ぎて行くだけじゃないのか? 本当にやりたいのなら、おまえは何をすべきだ?」

そこまでいけばもう答えはひとつだけです。 「とにかくやれるところまで精一杯やってみよう」 そう気持ちが切り替わるんです。 1日で替わらなければ2日、3日と自分に問い続けていれば、やめるにしろ、続けるにしろどちらかに答えは出るはずです。

もうひとつの方法は、客観的な目で自分を見てみるんです。

「おまえ深刻ぶっているけれど、おまえのしていることはそんなに大それたことか? おまえが何をやろうと、何を作ろうと世の中が変わるわけでもないだろう。 何をそんなに大げさに考えているんだ? まわりをよく見ろ。 世界を動かすような位置にいながら、自分を信じて堂々と働いている人を見ろ。 たかがインテリア小物を作ることがそんなに深刻なことか? 自惚れるのもいいかげんにしろ!」

そう自分を叱りつけるんです。 私にはこれはとても効果がありますね、悩んでいたことがバカバカしくなります。 だって事実たいしたことではないんですからね。 「あーあ、時間を無駄にしちゃった 」で終わりですよ(笑)

悩んでいる人、苦しんでいる人、将来の不安におびえている人、たくさんいらっしゃると思いますが、人間死ぬまでは生きなければいけないんですから、どうせなら楽しく気楽に生きましょうよ。 苦しむのも時にはいいことですが、ほどほどにしてね、せっかく生まれてきたんですから大いに楽しんじゃいましょう。
やっぱり私って楽天家なんでしょうかね?


追記 : 私にとって山本周五郎氏の小説に出会ったことが、人生の大きな転機となりました。 何がどうとは言いません。 興味のある方はご一読を。