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雑貨人生20数年の想い出、感じたこと、創作を愛する人へのエール といった感じのエッセイです。
雑貨屋KUMAのエッセイ 「雑貨想い出帖」 バックナンバー

   Vol,14〜Vol,59

(14以前は保存してありません)


第28回
「NHKおしゃれ工房体験記」
(2003年1月1日UP)

今回はあまり触れたくないテーマなんですが、派手なこと目立つことが嫌いで、苦手な私がどうしてテレビなんぞに出る羽目になってしまったのか、ちょこっと書いてみたいと思います。

あれはもう何年前になりますかね、よく覚えていませんがもう6、7年はたちますか。 ことの起こりは1月の下旬のなんてことのない夜にかかってきた1本の電話でしたね。
電話の主は樹脂を卸してもらっている、株式会社ニッシリさんの営業部の課長さんでした。 なんだろうと思って受話器を取って愕然としましたよ。
「熊崎さんNHK教育テレビのおしゃれ工房って番組ご存知ですか? あの番組で今度樹脂を使ったアクセサリーを作るというのをテーマで、樹脂に詳しい講師を探しているんだそうで、うちの会社に話がきたんですよ。 で、熊崎さんをご紹介させていただきましたから、後日NHKの担当の方から連絡があると思いますがよろしくお願いしますね!」
「ちょっと待ってください! ダメですよ、ボクはそういうのまったくダメなんですから困りますよ、できません!」
「いやいやいやまたまたまた、ハハハハハ大丈夫大丈夫ハハハハまたまたまた大丈夫大丈夫ハハハハじゃあよろしくお願いします」ガチャン!
「・・・・・・・・」ですよ。 あーも、うーもありません。 日本の樹脂会社最大手の本社の営業課長に、私が口で太刀打ちできるわけはありません。 もうただただ呆然として立ち尽くすの図、でしたよ。

自分になにが起きたのだろう、どうしてこんな災いが自分に降りかかってきたんだろう、いったいどうしたらいいんだろう・・・・・、足元の床がポッカリと口を開けたって感じでしたよ。
しかしまだあきらめたわけではありませんでした。 NHKの担当の方から連絡があったらうまく言って断ろうと考えていました。 人前でしゃべることすらうまくできない人間が、テレビで説明なんかできるわけがありませんからね。
しかし後日担当の方から電話があったときには、すでにすべて話は決まっていました・・・・あぁ。

しかし! 私はまだあきらめていませんでした。 当時司会をしてらした安部みちるさんの事務所で打合せをするときに、なんとかお願いしてお断りをしようともくろんでいましたが、その場は話し合いでなく、文字通り 「打ち合わせ」であり、やめさせていただきたいという私の言葉など黙殺されてしまいました。 もうやるしかしょうがありませんよ。 それは2月のはじめのことでした。

ところが驚いたことにテキストの撮影まで3週間しかなかったんですよ! その時のテーマは「花をモチーフにしたアクセサリー」でしたが、そんなものをそれまでほとんど作ったことがなかったですから、わずか3週間のうちにデザインを考えて(一般の視聴者が作れるように工夫する必要があり)、原形を作り、型を取り、サンプルを作らなければいけなかったんですよ。
これは私にとって大変なことでしたね。 なにしろ通常の仕事をしながらでしたから。

その3週間の記憶はまったくありません。 自分がどのようにして原形を作り、サンプルを作ったのか、全然覚えていないんです。 余裕がなかったんですね。
で、私の頭の中に残っている記憶はいきなりテキストの撮影日に飛ぶんです。 その日は朝から土砂降りでした。 その中を私は渋谷のNHK出版へ行きました。 2月下旬の冷たい雨、その印象がとても強いですね。

撮影はとても楽しかったですよ。 スタッフの方々がいい方ばかりで、明るくてホントに楽しかったですね。 そうですね、「みんなでひとつの仕事を作り上げる」という雰囲気がありましたよ。
カメラマンも愉快な方で、写真嫌いな私もリラックスして撮っていただくことができました。 こんな仕事ならいつでもOKだ!と、すぐに調子にのるのが私の悪いところ。 でも楽しかったですよ。
テキストの撮影からテレビの打合せまで1ヶ月以上のあいだがありました。


テレビの撮影の打ち合わせは4月の上旬でした。 これは渋谷のNHK放送局へ行って、建物の上の方にある喫茶ルームで、若いディレクター2人としました。 眼下には明治神宮の広大な森が広がっていてとても景色がよかったですね。
向こうのテーブルではテレビでよく見るスポーツキャスターが、台本かなんかを見ていました。
これもあまり言いたくないことなんですが、私は映画の専門学校に行ったんですよ。 実は映画監督になりたかったんですね。 ですからテレビの撮影に関してもある程度の知識がありましたし、現場の雰囲気にも慣れていましたから、そうした意味での心配はなかったんですね。
ただ何度も言うように、目立つことが嫌いで、人前でしゃべるのが苦手でしたから(今は平気)、しゃべりながら説明するなんてことは、ひっくり返ったってできることじゃありません。 それがいやだったんですね。
ですから作る手順を見せる手元の撮影を別の日にしてくれませんかと、お願いしたんです。 で、スタジオではその映像を見ながら説明する、ということにしてもらったんですね。 
ここだけの話ですが、その喫茶ルームで飲んだオレンジジュースは、駄菓子屋で売っている粉末のジュース(わかります?)の味でした。 つまりまずかったんですな。

作業手順を説明する手元の撮影は4月の下旬、ゴールデンウィーク前に撮っていただきました。 驚いたのはNHKの建物の中が迷路のようで、どこがどうなっているのか、どこに連れて行かれているのかまったくわからず、果たして無事に帰れるだろうかと思いましたよ。 薄暗い廊下をくねくねと曲がってエレベーターに乗ったり、下りてからまた、古い廊下を連れて行かれたりしましたから、「この2人は本当にわかって歩いているのだろうか?」そう思ったほどですよ。
で、行き着いたのは薄暗くてだだっ広いスタジオでした。

当時私は仕事をする時には必ず落語を聴いていましたから、落語を聴きながらでないとうまく手が動かなかったんですね。 ですからその時も持っていった落語のテープを聴きながら撮影をしました。 ヘンな奴です。
正直に言いまして、私は映像に携わる人種の軽薄さにうんざりして、映画界へ進むことを断念しましたから、この撮影はあまり楽しい仕事ではありませんでしたね。 まぁそういう雰囲気だったということです。

テレビ用セットで司会者とゲストを交えての撮影は、ゴールデンウィークの中間に行いました。
司会者は先程書きましたがスタイリストの阿部みちるさん、ゲストは女優の戸川 純さんでした。 お二人ともとても細かいところに気を配るやさしい方で、そしてお世辞でなく美人でした。 
戸川さんはからだの大きな太ったマネージャーさんとともに、ねずみ色のジャージ姿でおいでになり、だれかれ構わずに丁寧に挨拶をされていました。 とても感じのいい方でしたよ。

撮影当日私の家(アパートでしたが)の前には黒塗りのハイヤーが来ました。 もちろんNHKから手配されたものです。
横浜の私の家から渋谷までハイヤーに乗ることに、少なからず抵抗があったことを告白します。 みなさんの受信料を無駄に使ってる気がして・・・・事実そう思いますよ、私は。
その日私は二日酔でした(笑)。 もっともその日だけでなく、当時の私はほぼ毎日二日酔状態でしたが。
NHKに着いて控え室に案内され、スタッフに紹介されている間も頭はボォ〜っとしていて、出されたサンドイッチもあまり食べられませんでした (これまたびっくりするくらいまずかったし)。

セットでの撮影はあっけないもんでしたよ。 まずざっとした進行のリハーサルがあって、次にカメラワークのリハーサルがあって、すぐに本番です。
戸惑ったのはリハーサルの時から、安部さんと戸川さんが演技をされることでしたね。 私に質問したり、驚いて見せたりされるので、そうしたことに対応するのに慣れていない私は、ちょっと恥ずかしくてへどもどしてしまいましたよ。
しかも本番になって質問の言葉や聞き方を微妙に変えられるので、ちょっとまごついたりしましたが、お二人ともやさしい方ですので、ちゃんと目で知らせてくださいましたから、私もボロを出さずにすみました。 本当に安部さん、戸川さんには今でも感謝しています。 

ですからリハーサルも含めて撮影は1時間ちょっとで終わりました。 「え?もう終わり? こんな簡単なことでいいの?」そう思ったほどですよ。
オンエアーはいつでしたか、記憶が定かではありません。 ふすまの陰からチラッと見ました。 とても自分の姿なんて見られませんからね。
しばらくの間は近所の人に会わないように、まるで犯罪者のようにこそこそとしていました(笑)

はっきり言ってしまいましょう! おしゃれ工房に出演してかなりのお金をいただきました。
テキストの印税、テレビの出演料(肖像権ということですが)これは再放送の分もちゃんとくださいました。 合計で20万ちょっとだったと思います。 結構な金額ですが、その間に使った時間と労力を考えるとまったくの赤字でした。
もちろんそれに文句があるわけではありませんよ。 自分自身とてもいい経験になりましたし、その後の仕事が「信用」という点で格段にやりやすくなりましたからね。 非常にプラスになりましたよ。
7年前の私と今の私は別人のように変わりましたから、今ならいつでも出演しますよ。 もちろん冗談ですが。 もうこりごりです(笑)