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雑貨人生20数年の想い出、感じたこと、創作を愛する人へのエール といった感じのエッセイです。
雑貨屋KUMAのエッセイ 「雑貨想い出帖」 バックナンバー

   Vol,14〜Vol,59

(14以前は保存してありません)


第40回
「雑貨の魅力が失われつつある」
(2003年7月1日UP)

これまでにも何度か書いてきましたが、今から18、9年程前に「雑貨」というものが一般的になり、10代の女の子を中心に、大きな流行となったことがあり、「雑貨ブーム」と呼ばれました。
その当時「雑貨屋めぐり」なる言葉があり、休みの日に東京中の雑貨屋を文字通りあちらこちらとめぐるわけですね。
雑貨屋というものが東京や大阪などの大都市にしかなく、新幹線や飛行機を使って、そうしたショップに雑貨を買いに行くことが、決して珍しいことではなかったのです。

それではその当時の雑貨がそれほど魅力的だったのでしょうか。 正直に言いまして、商品としてはそれほどでもなかったのですが、結局は圧倒的に数が少なかったからでしょうね。 なかなか手に入らない物ほど、人は欲しくなるものですからね、いつの時代にも。
しかし自分の足で苦労して探し当てて買った物と、たくさん売られている中からひょいと買った物とでは、それは当然愛着も嬉しさも違いますよね。
ですから正確には雑貨が欲しかったのではなく、人の持っていない物が欲しかったのでしょう。 流行というのはそういうものですよね。

今はちょっとしたスーパーマーケットにも雑貨が売られていたりします。 雑貨屋以外で雑貨が売られるようになった時、私たち業界の人間は驚くというより、なんだかがっかりしたのを覚えています。
雑貨というのは、私たちにとって特別なものだったのですね。 同じ時計でも雑貨屋で扱う物は、大手メーカーの物とは違う。 同じマグカップでも雑貨屋のはこういうものだ。 世界中からセレクトしたり、自分たちで本当にいい物を作ったりして、それを売るのが雑貨屋という空間だったのです。
そうした特別な物であったはずの雑貨が、次第に大手に真似されるようになり、いわゆる「雑貨風」に作られた商品が、大量に私たちのまわりにあふれるようになりました。
そうするとそこでも競争が起こり、「雑貨風」な物からより雑貨に近いもの、あるいは雑貨屋と同じものを扱うようになってきて、いつかしら雑貨が特別な物ではなくなってしまったのですね。

でもそれはいいことではありますよね。 身近なところでおしゃれな物が手に入るようになったんですから。
しかし悲しいのは今度は雑貨屋の方が、雑貨風のものでごまかすようになってきたことなんです。
雑貨屋も小さい路面店程度ならおもしろいことができるのですが、だんだん会社が大きくなり、扱う商品の数が多くなると、そうそういい物ばかりは集められなくなってきます。 しかも今は不景気で、その上デフレですから、安い海外製品を大量仕入れで買い叩き、それをおしゃれに見せて買わせるのが、今の雑貨屋になってしまいました。

私は今でも雑貨屋めぐりをします。 確かにセレクトされた商品はある程度おしゃれです。 しかし「ある程度」という言葉が付いてしまいますね。
もちろんそうした商品を集めてくるだけでも大変なことだと思いますが、やっぱり雑貨屋の役目というのは違うという思いが、私にはあります。
売れるのはわかっていても、こういう商品は扱わない、というボーダーラインがあり、いったんそれをあいまいにしてしまうと、だんだんそのショップのレベルは下がっていきます。
やはり雑貨屋では本当にいい物だけを扱って欲しいと思います。 大規模小売店とは一線を画して、会社の規模を大きくするのではなく、本物のおしゃれを我々に提供して欲しいと思いますね。

それにはやはりオリジナル商品を作ることが一番だと思うのですが、雑貨業界が最初、アメリカ雑貨や中国雑貨を輸入することから始まったためでしょうか、以前からオリジナル商品を作る、という意識が薄いですね。
もちろんオリジナルを作るにはお金も時間もかかりますし、失敗作を作った時のリスクも大きいのですが、やはりショップとして、あるいは会社としての個性を出すには、オリジナル商品を作るしかないと思いますね。
それもショップやブランドのロゴをプリントする、なんて安直な物ではなく、型から起こしたり、既存の型を使うにしても、素材にオリジナリティを出したり、そうしたことがあまりにもなさすぎますね。

ネット上では一般の方がお作りになった作品が、ネットショップやオークションで、盛んに売り買いされています。 それはやはりそこに「この作品はここでしか買えない物」、「この人からしか買えない物」という、特別な意味合いが含まれるからでしょう。
つまりどこにでもある物ではなく、自分で探し出した物だから嬉しいのだと思いますね。 しかもそれがほかでは買えない物であればなおさらです。
以前の「雑貨屋めぐり」は「ネットサーフィン」と名前を変え、特別な物が欲しい、人の持っていないものが欲しいという、私たちの欲求を満たしてくれているのでしょうね。

実店舗のショップがありきたりの量販店になっていく昨今、雑貨の魅力は次第に薄れてきています。 ネットでもだんだん同じようなことになりつつあるのを感じるのは、おそらく私ひとりではないはずです。
人がやっているから私にもできそうだ、ではなく、私ならこうやる、僕ならこういう物を扱う、あるいは作るという姿勢がまず大切なんです。
売るにしても作るにしても、人がやった物はやらない。 自分にしかできないものを作る、というオリジナリティを持つこと。 そうしたことなしに、魅力のある「雑貨屋」にはならないのだと思います。

100円ショップで買ったカップで飲むコーヒーと、自分でようやく探し当てて買ったカップで飲むコーヒーが、同じ味であるはずがありません。 同じだという人はそうした物をお使いいただければ結構ですし、目が覚めればどんな時計でもいいという人も、安いものを探してお求めになればいいと思います。
しかしそれでは飽きたらない私は、これからも自分のオリジナリティにこだわっていきます。 気に入った物が見つかるまで買わない、という買う側としてのこだわりも、いつまでも捨てたくはありませんね。 なぜなら、雑貨はどうしても必要な物ではないけれど、あると生活も心も潤いますからね。