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雑貨屋KUMAの田舎暮らしエッセイ 「東丹沢山ごよみ」 バックナンバー

  第1回
 「田舎暮らしをはじめて14年」

  第2回
 「私の住む集落を紹介しましょう」

  第3回
 「山歩きと日本の山林の現状」

  第4回
 「私の山の楽しみ方」

  第5回
 「山野草と山菜 春のよろこび」

  第6回
 「春から初夏の山」

  第7回
 「幻想的な梅雨時の山、そして夏へ」


  第8回
 「秋の山野草と山の生き物たち」



第1回
「田舎暮らしをはじめて14年」
(2012年1月5日UP)

この 「東丹沢 山ごよみ」 では、神奈川県西部の山の中腹にある歴史の古い集落で、2012年12月までの約15年間、家族とともに田舎暮らしを楽しんだ私の日常や、山で見られる美しい花や風景をご紹介しています。



1998年 引っ越し直後
引越ししてきた時、私と妻は30過ぎ、長男は5歳、長女が2歳でした。 ですから長女はこの山の集落の記憶しかなく、ここで生まれ育ったようなものです。

引越しを決めた時、生まれ育った横浜から離れたことのない妻はもちろん不安を感じていましたが、私が半ば強引に決行した、という感じでした。 もちろん今では妻もここに引っ越してきてよかったと言っていますけどね。

しかし、千年以上続く古い集落に引っ越してきた若い家族にとって、近所との人間関係など、結構大変なこともたくさんありました。 そのひとつが「組」という組織があること。 つまり戦時中の隣組の原形のようなもので、隣近所の5〜10軒くらいがひとつの組となって、冠婚葬祭の手伝いから、自治会費の集金、市行政から配布されてくるプリントを回覧板にして回すなど、こまごまとした付き合いがあり、当初はこうした付き合いが本当に大変でしたね。


「どうしてここに引っ越してきたの?」

もうこれまでに何十回となく聞かれたことです。 そんな時にはこう答えています。

「横浜に住んでいたんですが、子どもが2人とも生まれつきのどがものすごく弱くて、小児喘息になりかけてしまったので、空気のいいここに引っ越してきたんです。 親戚がいるわけじゃなくて、なんの縁もゆかりもないんですが、一度来てみてすごくいいところだったから、ここに決めたんですよ。」

こう説明するとたいていの人は納得してくれますし、いい感情ももたれるようです。 そして子どもたちのために引っ越してきたのは事実で、その決断が私たち家族の人生を大きく変えてくれました。 もちろんいい方に。



田舎の古い集落に見慣れない人間がいると、やはり警戒するわけですよ。 ですから会う人会う人に 「あんたどこの人だね!」 と、ちょっときつい(と感じる)言い方で聞かれるわけなんですが、向こうは悪気はまったくないんですよね。 今は私も知らない人を見ると警戒の目で見ちゃいますもんね。

都会と違って人口が少ないですから、みんな顔見知りなんです。 だから顔を覚えてもらえればあとはみんなとても親切にしてくれるんですよ。 でも子どもがいなかったら、ひょっとしたら長くは住めなかったかもしれませんね。

「田舎暮らし」に関する雑誌が何冊も出ていますし、ネットでも田舎暮らしを実行された方の話や物件などが紹介されていてますが、田舎暮らしはいいところもあり、また精神的に大変なことも多々あるわけですよ。 そうしたことはこれからちょいちょい出てくると思います。

2006年 完璧に田舎の子



裏山の滝
体の弱い子どもたちの育児と、そうした田舎暮らしでのさまざまなできごとにぶつかりながら、若い私たちは夫婦は子どもとともに成長していったわけですね。

「めんどくさいなぁ・・・」と思いつつ、地域の掃除やら体育祭やら祭りやら葬式の手伝いなどに参加していくうちに、「あの人は熱心だよ」と言われ、徐々に地域に溶け込んでいって、今では地元の人よりもこの土地のことや人にくわしくなっちゃッた私です。




とまぁ、こんな感じの軽い読み物として、できましたら毎月更新していきますので、サイトに遊びにいらしたついでにのぞいてみてくださいね。